XELAのチラシの裏

Twetterで長文投稿ができないので開設、主にチラシの裏的なことを、生活の何かの役に立てば、アニメの知識に関しては地上波アニメを見ている程度、昔は3DCGとかGIFアニメとかも作ってた(才能がないので断念)

ケムリクサ読書感想文 -「ケムリクサ考察班」の考察-

 

 

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正直言えば、おもしろい。

他人がおもしろいと言っているのではなく純粋に

 

ただなぜ面白いのかというと言葉にするのが難しい、全部書き切ってみたが、自分の語彙力のなさに反省したくなるほどだ、それほどこのアニメの魅力を語るのは難しい。

絵がいいから?深いメッセージ性があるから?物語に奥行きがある?

それであればエヴァンゲリオンまどかマギカ、最近だったらSSSS.GRIDMANの方がはるかに優秀だ、誰だってそう思うし私だってそう思う

しかしだ、それでも「ケムリクサ」を私は視てほしいと思う

特にこれからクリエイターを目指したいのであれば絶対に見てほしい、絶対に、この作品は間違いなく2,3年後のアニメを描いているのだから。

 ※全話通してみた感想なのでネタバレに関しては悪しからず

「不穏」の正体

ラブロマンス、死の物語、SF

ケムリクサのストーリーを簡単に説明できるのは簡単だ

少女終末旅行」のような荒廃した旅をするポストアポカリプス

けものフレンズ」の精神的な続編

まどかマギカ」のような緻密な設定と多彩な伏線が用意された作品

 

「ケムリクサ」は3つのストーリーラインで構成されていると私は考えた。 

ラブロマンス・・・わかばとりんが「愛」という言葉すら失った世界で紡がれる物語

死への物語・・・すべてが荒廃していく世界で、姉妹や水を失いながらも自分の役目を考え、命を代えてでも果たそうとする少年少女の物語

SF・・・この世界は我々現実世界の未来の姿なのか?、人類が消えた世界にいる2つの「ヒト」、「ヒト」とは?「人類」はどこに?謎が謎を呼ぶ物語!

 

これでは「まどかマギカ」とほぼ変わらない、ほむらとまどかの「ラブロマンス」、死ぬさだめにある魔法少女の「死への物語」、魔法少女の仕組みを探る「SF」

しかし「まどかマギカ」よりも「ケムリクサ」はさらにその先を進んでいる

それは「ラブロマンス」と「死への物語」が恐ろしく近い距離で同時進行しているのである。

ラブロマンス」VS「死への物語」

物語の同時進行はよくある要素だ

エヴァンゲリオンであればシンジ君が使徒と戦ったり、学校生活を送っている間にゲンドウはゼーレと会議したりNERVで作戦や研究を行う

まどかマギカであれば、まどかがマミとの魔女退治に付き合ったり、さやかと楽しい学園生活を送っている間に、ほむらはまどかが魔法少女にならないように立ち回ったり、ワルギルプスの夜のための準備にいそしむ

そして両方とも終盤戦にはこの二つの物語が絡み合い大盛り上がりとなる。

 

しかし、「ケムリクサ」はそうではない、りんとわかばは常に一緒に行動をしている(他の姉妹に会う時に別れているが距離的は教室と保健室レベルである)、しかし物語は同時に進行している。

ラブロマンス側はりんはわかばとの感覚を「毒」と表現し(ここすき!)、行動していくうちに守るための存在、そして11話でそれ以上の存在として昇華していく。

死への物語側は他の姉妹を失い、1島で終わろうか迷っていた時にわかばに会い意を決して旅をしていく、旅の果てに水を得ることができたが、赤い木の存在により心が折れてしまう、しかし、わかばや他の姉妹に励まされ、みんなで赤い木を打ち倒すため旅をする、たとえ自分自身がどうなろうとも。

しかし、その旅の果てには残酷な真実が待っていた・・・

この二つの物語が同時進行していく。

最初はわかばのことを「野郎」と揶揄されたが、彼こそ「死への物語」へ堕ちてしまったりんを救うヒーローなのである、8話の『当たり前でしょうそんなの!絶対そんなことにはさせませんから!』というセリフは「死への物語」の雰囲気を一瞬だが打破したように見えた、ベテラン声優の野島健児氏ではないとできない芸当である。

それでも、どこかで似たような話でもある。

だが「ケムリクサ」はさらにその先を進んでいる。

それは、りんかわかばを失ったとしても物語が破綻しないのである。

エヴァンゲリオンにおけるシンジ君が死んでしまったり、まどかマギカのまどかが死んでしまえば、この物語は破綻する、ただあるのは世界の崩壊である。

しかしケムリクサのりんかわかばが死んでも「ラブロマンス」の物語が破綻するだけで「死への物語」は破綻しない、もしかしたら思いを引き継いでやり遂げようとするし、下手をすれば2人死んでも他の姉妹が思いを受け継ぐかもしれない。

つまらなくなってしまう話ではあるが。

そう、つまらない話になるのだ。

だからこそ、応援したくなるのだ、「ラブロマンス」の物語を。

「死への物語」は好ましくない話なのだ。

 

まどかマギカ」の功罪

まどかマギカが一瞬にして盛り上がったのはやはり3話の展開だろう。

魔法少女という可愛らしく、きらびやかな物語の破綻、そして巴マミというキャラの最後。

自分の中にある常識の中の物語がいとも簡単に破壊されるのは衝撃であり魅力的ではある、それがオリジナルアニメの長所である。

自分の常識の外で紡がれる物語は未知が溢れ、我々の知的好奇心を満たす。

3話の「魔法少女が、愛らしい少女がヴァイオレンスに死ぬ」というのは理想的にカタルシスを感じる行為なのである。

しかしだ、その「魔法少女が、愛らしい少女がヴァイオレンスに死ぬ」というカタルシスが自分の常識になってしまった時、そのあとに出る物語は恐ろしく無味乾燥になってしまうのである。

誰だって大切な人や魅力的な人物が死ぬ物語は好ましい物語ではない

(意味のある死や受け継ぐための死であれば問題ないのだが)

だからこそ、ゆゆゆや魔法少女サイトは見る気が起きなかった、会社や学校から帰って疲れた状態でアニメを見てて、推していた可愛い少女が3話あたりでむごい死に方をしたら、明日会社や学校に行く気力は湧かなくなる、つらい。

 

ケムリクサの1話「死への物語」で始まった。

滅びゆく世界、微かな水を得たが姉妹であるりなこを失った、水は有限である、いずれ無くなる。

主人公であるりんができることといえば、せめてりつやりな達が好きなことができるようにするだけ、そのためであれば自分はもうどうなっていい。

そんな中、わかばに出会う、得体のしれないわかばは敵だ、どんなことをしても倒さないといけない、そんな中、赤虫が現れりな達が喰われる、喰われてしまったらもう自分は何もできない、自分を責めるりん。

しかし、わかばは自分自身を犠牲に赤虫に突っ込む、弱いくせに姉妹を信じていないくせに。

おかげで赤虫を倒すことができた上、全員生き残ることができた、そして、わかばに対して自分では感じたことがない「感覚」がりんを襲った・・・

こうして1話は「ラブロマンス」で終わった

「死への物語」になるはずの展開がわかばとの「ラブロマンス」によって回避されていったのだ。

しかし「死への物語」は死なない、崩壊した世界、減っていく水、容赦なく襲う赤虫、「死への物語」への誘いは終わることはない。

我々視聴者はただ口を加えてみているだけであろうか?

 

「このせかいのしくみについて」という我々への挑戦状 

2話、3話へと進んでも「死への物語」への誘いは終わらない、世界は暗いまま、赤虫はどこでも襲ってくる、大地は崩落し1島へ戻るレールは分断された。

わかばもケムリクサに興味を持っているようだが「死への物語」を翻すほど役に立つ存在ではない。

 そして4話である。

 何気ない会話だった、わかばはケムリクサを何とかしようと色々触る、見る、振る、何も起きなかった。

しかし視聴者は見ていた、りょうが遺したケムリクサにある「このせかいのしくみについて」という文字を

一瞬である。

録画した動画をコマ送りにしてみないと「このせかいのしくみについて」は見つからないのである、しかもわかばはそのことを知らない。

そして視聴者たちは考察した。

「このせかいのしくみについて」とは?

ケムリクサの発動条件とは?

りょうは何を残したかったのか?

そして、たつき監督はなぜ「このせかいのしくみについて」を見せたのか、しかもわかばではなく我々視聴者に。

それも、わざわざ一瞬だけ。

たつき監督は我々視聴者に挑戦状を叩きつけてきたのである。

 

「この仕掛けを解明して見ろ」と言わんばかりに

 

上等じゃねぇか、こっちは「けものフレンズ」によって鍛えられたんだ、「いもいも」だって作画崩壊のまとめ動画を作り上げてきたんだ、何ならこっちにはTwitterがある、Twitterには植物に詳しい人間だっている、「けものフレンズ」を作ったのはまぐれだっていうことをこのネットの総意である俺様が証明してやるよ

 

・・・そしてものの見事に「毒」が回ってしまったのである。

解明すればするほど深まっていく「SF」の物語。

何度見直しても姉妹の体や表情の動きに驚愕する。

何度聞き直しても矛盾性のないセリフ。

監督のTwitter

公式HPでソース表示にしないと見えないわかばの説明

 

調べれば調べるほど回る毒、その毒は病的なユーザエクスペリエンスへと進化していく

物語への疑似的な介入

 このシーンは7話でついに水場を見つけるシーンである。

そう、水場を見つけて喜ぶシーンである、なんも変哲もないシーンだ。

 

irodorich.com

さすがにそれは考えすぎではないのかと思った、しかし、最早完璧な構成であるが故に水場を見つけたシーンですらギミックが隠れているのではないのかと思ってしまったのである(しかも本当にギミックだった、恐るべし)

完全伏線空間というべきか、伏線のお化け屋敷というべきか。

 

しかし、一般人でも似たような経験をしている。

例えばマジックショーの観客だ。

TV番組でマジシャンが芸能人を観客席から舞台へと呼ぶ、トランプからカードを1枚選び自分でサインをする、世界でたった1枚のカードの完成だ。

それのカードをトランプの山札に入れて芸能人がシャッフルする、もちろん芸能人はマジシャンを見たり自分の持っているトランプをまじまじと見る。

シャッフルが終わった後マジシャンは指をパチンと鳴らす、そして山札の一番上を引くと書いたカードが出てくるのだ。

芸能人は驚く、トランプをまじまじと見て再び山札に戻す、再びパチン、カードは山札の一番上に移動する。

 

水場のシーンで勘ぐる行為もトランプをまじまじと見る行為というは似ているが考えてみれば馬鹿馬鹿しい行為ではある。

なぜならアニメもマジックショーの結末も決まり切っているからだ。

それでもマジックショーは楽しい。

それと同じ感覚を「ケムリクサ」は体現したのだ、物語の疑似的な介入というべきか。

 

それでも「けものフレンズ」の壁は厚く高い、しかしこれは「たつき監督」の作品になった。

「ケムリクサ」は恐ろしく完成度が高く魅力的な作品だ、「ラブロマンス」と「死への物語」とのせめぎ合い、マジックショーのようなアニメの枠を超えたエンターテイメント。

gdgdフェアリーズなどを見てきた私にとっては日本にも「トイストーリー」のような作品ができる日が来るとは思わなかった。

SNSを使ってリアルタイムで情報が拡散、整理できる時代だからこそ完成できたアニメである、今後はこのようなアニメが「覇権」を握る可能性が高いのだと思う。

 

それでも「ケムリクサ」は覇権を取ることはできないだろう、このまま称賛のまま終わるわけにはいかない、物事はフラットに捉えないといけない(戒め)

「死への物語」は無敵だ

正直、1話~6話までは盛り上がりに欠ける、特に3話はよろしくない、3話は状況の説明に徹しすぎている。

そして、あまりにも「死への物語」が強すぎて緊張感がない話になっている。

死という重い言葉なのに緊張がないというのは矛盾しているのだが。

しかし、前述した物語の破綻の言葉を思い出してほしい。

シンジ君やまどかが死んでしまうと物語が破綻してしまう。

それとと同じように1話~6話まではりんが死んでしまうと物語が破綻をしてしまうのである、一体誰が4話のヌシを倒さないといけないのか?

最後に主人公が死んで何か重大な教訓や大切なことを残すためには12話までには主人公は「生きていなければ」いけないのだ。

暴論になってしまうが、たとえ「死への物語」で主人公は最後に死んでしまうが、1話~12話までは主人公は「確実に生きているはず」から視聴者は安心してしまうのである。

だからこそ1話~6話は盛り上がりに欠けるのである、りんは必ず生きているだろうから。

対策は可能である、主人公に死んだ方がマシだといえるほどの苦痛を与えるのである。

それが面白いかどうかは別として。

あるいは最初から「ラブロマンス」と両立させればよかったのだろうか?

それができれば誰も苦労しない。

すべてが仕組まれたマジックもケムリクサも少しのミスや綻びは許されてはいけないのだ。

 人間業とは思えない

りんが死んでも物語が進むような雰囲気を出すためには登場人物すべてが主人公のようにキャラを立たせる必要がある。

ケムリクサでの脇役であるりつ姉は猫耳があり語尾に「にゃ」を付けるキュートなキャラだ、視覚が弱く、おおざっぱであるが、聴覚に優れていおり、みどりちゃんを操作することに長けている、年長物でみんなをまとめる優しいお姉さん。

りなは語尾に「な」をつける可愛い妹キャラだ、しかも他の姉妹と違い複数人で戦うことができる、デコイを放ったり、食べた鉄骨などを出して戦う、成長すれば人数を増やすこともできる、姉妹の中ではムードメーカー、楽天的な発言はりんの心を励ましてくれた。

・・・もうスマブラとかオーバーウォッチとかに出しても問題ないような気がする。

その上いい人でやさしい、まさしく彼女らもヒーローである、脇役ですら主役を張れる要素を持っている。

しかし、これらを説明するためには4話ぐらい時間をかけないといけない。

「ケムリクサ」は6話にかけてわかばを含めた姉妹の人間性、この世界のしくみ、ケムリクサについてを視聴者が納得するレベルで説明した、次回予告やダッシュ、ED、OPを削ってでもだ。

名前だって覚えてもらうのも大変である、何度会話で名前を言ったか。

8話でもシロのために再度自己紹介をするほどである。

これを2話でまとめて「ラブロマンス」で両立させるのは無理である。

どう考えても精神的におかしくなるだろう、庵野監督ですらエヴァンゲリオンを作った後、精神的に追い詰められたというのに。

キャラを立たせる冴えたやりかた

けものフレンズのキャラの立たせ方はとてもやりやすい、だって動物の特徴をそのまま動きや性格に反映させればいいだけなのだから。

だからこそ、動きや設定に磨きをかければかけるほど輝いていく。

けものフレンズカラカルが出なかったのはそういう問題だったのかもしれない、カラカルサーバルは同じネコ科でジャンプ力が強い、同じ能力のキャラは2人いる必要はない。

であればそれぞれ性格を変えるべきだったのか?

簡単な手段としてどちらかを悪目立ちするキャラ、意地悪なキャラするはどうだろう?対比させるのも悪くない。

それとも片方だけ露出度を上げてみるとか、かわいい仕草を追加するべきか?それも悪くない。

・・・面白いかどうかは別としてだが。

 

たつき監督は主役にそれをしなかった(温泉回は入れたが)、脇役ですら意地悪なキャラを入れないように避けた、その代わりギミックを仕込み、キャラを磨き上げた。

だからこそ12話まで見ごたえのある作品に仕上がったのである。

まさしくこれは「たつき監督を含んだirodori」でないとできない芸当だ。

いくら製作費をつぎ込んだとしても、寄せ集めただけのスタッフだけでは同じように再現するのは難しいであろう。

 

次回作をお待ちしています、心から

「ケムリクサ」は「けものフレンズ」より確実に進化した作品である。

CGに関してはより人間らしい動きに進化した、一瞬だがピクサーと見違うぐらいだ。

構成、設定も完璧に詰め込まれている、自信たっぷりに視聴者に挑戦状を叩きつけるとはたつき監督も人が悪い。

そして何よりもちゃんと完結している(SFの物語は完結できなかったがラブロマンスと死の物語は完結!)、「けものフレンズ」は伏線も投げっぱなしで終わってしまっている。

しかし、世間は厳しい、再び社会現象を起こすレベルにはなっていなかった、まだまだ発展途上の部分はあるように見える。

だからこそ次回作も見たい、2,3年年待ってでも見たい。

彼は2,3年先のアニメを作れるのだから。

追記・本当はもう少し語りたい

読書感想文ですら作文用紙1枚が限界だったけどここまで書けるとは・・・

ここまで読んでいただき感謝する。

キャラの動きや演出に関しては専門外なので割愛

誰か書いてくれたらいい塩梅ですね!

 

でもキャラを立たせるために、背景を暗くするとかすごいよなぁ

あと感情のキラキラ表現、まさしくテイルズっぽい、だからこそ子供でも分かりやすい

あー、「君の名は」とか「バケモノの子」とか見てたらもっと適格に評価できたのになぁ!

本当に面白いを説明するのには自分の語彙力では足らんのですよ!このケムリクサの魅力は!