竜とそばかすの姫感想 ~さらば、あの日の少年よ~
私は細田守監督が嫌いだ、今も嫌いだ
夏に金曜ロードショーに「サマーウォーズ」が放送されると憂鬱な気分になるほどだ
理由は簡単だ、ジブリらしくない映画を作っているからだ
私は「サマーウォーズ」以前に細田監督作品を見たことがある
「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」だ
小学生か中学生の時に見た映画であるが未だに印象深く、オメガモンが爆誕するシーンは若干ウルっときてしまった。
が、オメガモンよりも印象残ったのが外野からの身勝手な声援で回線の負荷がかかり不利になる展開だ
ここから細田監督に対して違和感を覚えるようになる。
「サマーウォーズ」に対しての翔太
「おおかみこどもの雨と雪」に対しての草平
「バケモノの子」に対しての楓
物語の流れを止める存在でイライラする。
そして「未来のミライ」
ああ・・・これは何だ?俺は何を見せられているんだ?
そして2021年「竜とそばかすの姫」
「アナと雪の女王」ディズニー作品のキャラクターデザインで知られるジン・キムとタッグを組んだ今作。
公開前は連日特番や過去作のロードショー、「約束された」覇権映画だ
「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」から21年経った
映画を見た少年は大地震を経験し、今現在も猛威を振るっているコロナの中、必死こいて生き抜いている。
親に駄々をこねて連れて行ってくれた映画館は今や自分のお金で自由に行ける。(ビッグローブクラブオフで割引チケットを買ってからだが)
アニメ映画業界はどうなったか?
ジブリの繁栄も衰え、ポストジブリは誰なのか、宮崎駿の後継者は誰なのか今も躍起になっている。
庵野秀明、湯浅政明、そして新海誠とアニメ映画業界は新世代を迎え、観る人の世代も変わっている。
最早ジブリ作品も古典的作品扱いだ
ジブリを見て育ったという人も少なくなっていくだろう。
では、私は今までの細田守作品に対して嫌悪し続けていいのだろうか?
そんな思いの中で「竜とそばかすの姫」を観た。
(ネタバレあり)
ジブリ好き少年のあるべき物語構造
ジブリ作品はとにかく楽しい、大衆向けの作品だ
・明確な目的がある(ラピュタを見つける、たたり神の呪いを治す、両親をもとの姿に戻す)
・異国感があり冒険的(ラピュタという空飛ぶ大陸、妖怪と動物の境目があいまいな世界、神様のための温泉)
・敵をやっつけるため皆と力を合わせて戦う(パズーとシータ、そしてドーラ一味VSムスカ、アシタカとサンVSタタリ神、千とハクVS湯婆婆)
もちろんジブリ以外にも似たような構図は多い、ドラゴンボール然り、コナン然りだ。
だがこれはジブリという大きな潮流があっての事だと思う。
アニメというのはかくもこうあるべきというのだと少年はそう刷り込まれたのだ。
ガンダム、エヴァのように外した作品もあるがあくまでも「ジブリ以外の作品」として割り切っていたしそれはそれで楽しんでいた。
そして細田守作品だ、その少年は「サマーウォーズ」は映画館では観ず、少し経ってから地上波で見てた。
当時は日テレが推す注目の監督、ポストジブリはこの人という事もありこの少年はジブリの様な大衆向けな作品なのだろうとワクワクしていた。
「おおかみこどもの雨と雪」もそうだった
「バケモノの子」もそうだった
「未来のミライ」もそうだった
・・・そして、少年は細田守に対して一切期待しなくなった
細田守の物語構造
「竜とそばかすの姫」が公開するにあたり細田守の過去作品に触れることができた。
少年はもう立派な大人だ、世間の酸いも甘いも知った、おかげでもう一度細田守作品に対してもう一度向き合うことができた
細田守作品はドキュメンタリーの一言に尽きる。
現実世界に幻想的が存在を入れたらどうなるか?
普通に育った家庭の女と狼に変身できる男が結婚して子供を産んだらどうなるか?
父親はすでに離婚し、母は死別し天涯孤独となった少年は異世界の獣人と出会った時にどうなるのか?
それなりに資産のある家庭の庭の木が過去と未来をつなぐ力を持っており、もしもその少年だけが干渉したらどうなるのか?
彼らの周りには隠しカメラがあり、暴力や死、性描写が起承転結もなくむざむざと見せつけられる、我々はその映像を見せられているような気分になる。
とても大衆やカップルに見せられる代物ではない。
しかし、そのリアリティこそ観客を引き込むパワーを持っている、「今」を捉えているからこそ共感できる部分が多いのだ
だからこそ生々しく気持ちが悪い、気持ちが悪いのだ
成長もある、団結もある、ハッピーエンドもある。
しかし、どこか俯瞰的なものを感じる、自分なら・・・というもどかしさがある。
ジブリのようでジブリではない不気味の境界のような感覚、これが気持ち悪さの正体なのだ、これはジブリをみた少年でないと感じることができない。
このリアリティのある生々しさとファンタジーが両立するので大衆向けの作品を作ることができない、しかしこれは彼にしかできない持ち味でもある、だからこそ評価される。
竜とそばかすの姫
話が長くなってしまったがいよいよ本題だ「竜とそばかすの姫」だ
正直な感想だととても成長を感じる作品である。「未来のミライ」の反省が十分に生かされている。
まず主人公の目的が明確になっている。
「未来のミライ」は完全にくんちゃんの成長記録映像となっており一貫した目的がなかった
しかし「竜とそばかすの姫」の冒頭に主人公の鈴には「なぜ母親は見ず知らずの人を命を捨ててまで助けた」のかという命題がある
そしてちゃんと最後のシーンで答えを見出している。
観客に対して道案内があると迷うことなく本作を観れる。
そしてキャラのロールがわかりやすい。
「未来のミライ」だと未来のミライの目的がわからなかったり、犬が人間になった理由も不明のまま物語が進んでしまい、同注目すべきかわからなかった。
しかし「竜とそばかすの姫」は分かりやすくできている
すずのUでの姿「ベル」と組みプロデュースする相棒のヒロちゃん、すずを助けてくれる
すずと幼馴染のしのぶくん、すずの事が好きだけど周りの事を気にしている
大体この3人と竜が中心として最後まで動くのでわかりやすい。
特にお気に入りなのがヒロちゃんだ、鈴ことベルと組みプロデュースする、毒舌ながらも鈴の母親の話については気にしたりと根はやさしい子なのがわかる。
家族に疎まれておりベルをプロデュースすることで自分の居場所を見出したが、最後の最後で恐れていた事態が訪れる。
とても自分と境遇が似ているような人物でつい感情移入してしまった、彼女のスピンオフがあればぜひ作ってほしいものだ。
主人公が持っている明確な目的、わかりやすいキャラのロール、生まれて初めて細田守が観客に歩み寄ったのではないかと思う。
今までは「これはこのテーマで撮ったつもりだけどテメェらが違うならそれでいいよ」と放任主義的であったが「ネットの良さをテーマにしたので寄り道もありますが『ベルと竜』だけちゃんと見てくださいね」と優しく教えてもらった気がする。
なのですずとしのぶの恋模様は正直どうでもいい、好きな奴が見れば良い
ダンスシーンが美女と野獣のパクリだ?
知らん、ディスニーが好きな奴に刺さればいい
終盤のシーンでなぜか集まったババア達に意味があるのか?
そんなものは知らん、細田監督も知らんだろう。
そしてその中にある母親の死に対するネットの評価、Uに蠢く罵詈雑言、無用なレッテル張り、現実世界での不本意な噂、身バレの恐怖
これこそ細田守の本心に迫っている部分ではないかと思う。
ポストジブリとして持ち上げられ、人気を得たが、ポストジブリというレッテルによって描きたいものが描けない葛藤、世間の評価
ベルが身バレのリスクを背負って一生懸命に歌っているのに罵詈雑言を言うシーンは細田守らしい生々しさを感じたと同時に細田守の影の部分を垣間見た気がするのだ。
すずとという一人の人間が世間のためではなく竜のためだけに歌う姿は細田守の理想的な姿を映しているように見える。
この映画はポストジブリとしての、ジブリに近い物を作ろうと細田守ではなく、細田守が観たいもの、感じたいものを作りたい細田守の決意表明ではないのか?
だから少年よあきらめろ、細田守はどんなことがあっても宮崎駿にもなれない!ジブリ作品は作れないのだ。
どうか少年よ、彼を許してやってくれ、前半の無理やりマイクを突きつけられゲロを吐くシーンや意味の無いSNS炎上のシーン、謎の合唱団のババア、クソみたいな恋模様、Uの身バレ装置に対するガバガバ論理
それらは物語に必要な要素ではないだろう?
いい加減そこをほじくり返すのをやめるんだ!
ぐっとこらえ丸の動画?あれは観客が再度俯瞰的な視点に戻すために必要だろうが!
「竜とそばかすの姫」はジブリのような映画ではない、細田守の映画なんだ!
ファミリーが気軽に見て良い映画ではないのだ!
私は細田監督作品が大嫌いだ。
でも、もう少し彼の次の映画は観てみたいと思う。
細田守が大嫌いなジブリ好き少年はもうそこにいないのだから・・・