映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ雑感 -日本はirodoriを受け入れようとしている-
引き算としての脚本
子供向け映画なので上映時間は65分
登場するすみっコは言葉を話さない、その代わり井ノ原快彦、本上まなみが吹き替えではなく語り部、つまり観ている人の視点として語っている。
舞台はすみっコが通う喫茶店の話、物語は不思議な絵本の世界に迷い込む話だが、起きていることは喫茶店ですべて解決する。
冒頭の5分は登場するすみっコの自己紹介ではあるがシンプルな説明で聞きやすい。
聞きやすい説明、シンプルな子供向けキャラクター、声優なしで動きのみの勝負
引き算としての脚本は目を見張るものがある。
また、キーキャラとしての「ひよこちゃん」の設定、絵本の世界というギミックを使った表現は膝をつくほどうまい。
中でも「ひよこちゃん」がザザッと造形が一瞬崩れるシーンは観客に不穏な空気を伝える上では上手である、1回だけこの演出が使われるのが引き算としての脚本としては素晴らしい。
すみっコの「ねこ」が絵本を食い破って絵本をつないでいくシーンは大きな伏線になっている。
正直言えば、「けものフレンズ」の演出、脚本手法を見事モノにしているのである。
(これをうまく言語化できる人を求む)
だからといってこれを「けものフレンズのパクリ」という気は一つもない、創造というは常に模倣から始まる。
むしろ、このような脚本が観客に受け入れられる体制ができつつあるように思えるのである。
「けものフレンズ」、「ケムリクサ」、「すみっコぐらし」
共通する部分を探ると「二面性を持っている」
両方とも
・特に注意深く見なくても面白い、楽しい
・注意深く観察して、考えるとより面白い
という視聴者の知識レベルによって楽しさが変わる二面性を持っている(これをうまく言語化できる人を求む)
最近この二面性のあるストーリーに関して確実に潮流ができ始めている
プリキュアも二面性なストーリーへ
その流れが顕著に表れているのがプリキュアだ
プリキュアは女児向けのストーリーである、かわいい女の子が悪いやつと戦う勧善懲悪ものである。
しかし近年の「HUGっと!プリキュア」だと赤ちゃんのはぐたんの成長を見守るかわいい物語にもう一つ、クライアス社の戦い方が労働問題を喚起する回や、輝木ほまれとハリーの叶わぬ恋、ジョージクライの野乃はな対する思いなど、大人が見ても共感するテーマが散見されている。
また今期の「スタートゥインクルプリキュア」もひかるとララの異星人と仲良く交流する友情の物語がある一方、えれなの外国人という孤独、それを隠すための笑顔をテーマにした回や、同じ民族でも差別、迫害された敵幹部など昨今の時世とリンクするよう話がり、その中でも、姿形も十人十色の人物がどのように惹かれていくのか太い柱を持っている(ようこそジャパリパークへだ!)
徐々にこの二面性を持った物語がメインストリームになろうとしているのである。
世間が徐々にirodoriを受け入れようとしているのだ。
さあ、irodoriはどう動くのか
たつき監督よ、今時代は傾いているぞ!