XELAのチラシの裏

Twetterで長文投稿ができないので開設、主にチラシの裏的なことを、生活の何かの役に立てば、アニメの知識に関しては地上波アニメを見ている程度、昔は3DCGとかGIFアニメとかも作ってた(才能がないので断念)

ある思考実験 -24時間テレビとジブリと細田監督とけものフレンズとガンダムと-

Twitterにつらつら書こうと思ったが長そうなのでブログに
 
今年の24時間テレビは高視聴率で終わった。
Twitter界隈を見るとやれ偽善だ、やれ奇麗事ではあるが、さすがジャニオタと事務所のタレントパワーだよなと思う、自分も絆のペダルを見ていた。
しかし、24時間テレビが人気なのは事務所のタレントパワーだけではないように思える。
なぜこれほど飽きが来ないのか不思議ではある。
そう考えて行く内に24時間テレビジブリ作品は意外や共通点があることに気づく、それは理想的な人間を映しているからだ。
 
24時間テレビは悪く言うと奇麗事である、障碍者だって普通の人と同じように憎しみや性欲や怒りの感情はある、だからこそ時には喧嘩をする。
でも24時間テレビはそれを見せない、みんなが助け合い、苦難を乗り越え、アイドルと一緒に笑顔で踊る。
理想的な障碍者による理想的に美しい舞台、それが24時間テレビなのではないかと思った。
それを気持ち悪い感動ポルノだと言う人もいるが気持ちはわかる。
 
「そんな人間いるわけないじゃん」と思う
とはいえ障碍を持っている子供たちから見ればそれは憧れであり、生きる希望になる。
そういった面であれば役目を果たしているのではないかと思う(大人になれば現実を知る羽目になるが)
 
 
ジブリ作品も同じように見える。
例えばポニョのそうすけは父親が遠くにいても母親のために頑張るし、ポニョの手を引っ張っていく、あと決して泣かない、なんと理想的な子供だろうか。
 
「そんな子供いるわけないじゃん」、それを描いたのは細田監督だ
 
未来のミライのくんちゃんはワガママで妹の未来の存在を良しとしない悪ガキだ、こいつは赤ん坊である未来にちょっかいばっかり出してくるし、オモチャは片づけない。
 
なんというか、不快な存在なのだ。
しかし、現実的に考えるとくんちゃんみたいな子は多数である。
私の姉貴もくんちゃんと同じ年齢の子供がいて弟がいる、久々に家に寄ったら、映画のシーンと同じようにオモチャで遊ぶが弟が近寄ると弟をぶってくるのである。
甥っ子とはいえ可愛くないやつだなと思った。
しかしこれが現実である、そうすけの様に聡明な子供は中々いない。
 
そう考えると宮崎監督は理想的でバラエティ寄り、細田監督は現実的でドキュメンタルな物語を描いているように感じるのである。
 
けものフレンズはどうだろうか?
かばんちゃんはまさしく理想的な人間だ、人の話を聞いてちゃんと考えて行動するし、新しい環境でも適用しようと努力する。
キュルルは違う、わがままで、異を唱える人がいれば反論するし、新しい環境に対しては拒絶反応を示す、あまり積極的ではない。
しかし、現実を見るとキュルルの様な人間は多いのではないかと思う、むしろ、自分はキュルルに近い人間かもしれない。
今更新しい世界に転職したくないし、正直将来のことよりも今を楽しく生きたい。
 
だからこそ現実的でドキュメンタルなアニメは嫌いなんだと思う、アニメは楽しく夢や希望にあふれているものなのだ、ああなんと幼稚な考えなのか!
 
現実的でドキュメンタルなアニメで成功しているのはガンダムエヴァンゲリオンだろうか、敵が来て力を合わせて戦うぞ!
「でも死にたくないじゃん」
「あいつ優秀だけどムカツク」
「こんなにボロボロなのに上の連中は何もしてくれない」
内輪揉めの連続である、アムロですらファーストは英雄として名を馳せたがZの時は幽閉されて窮屈な生活を送っていた、全く憧れない連中である、ああはなりたくはないなと思う。
でもアニメとしては面白い、戦争という環境では現実的でドキュメンタルな内容は相性がいいのかもしれない。まどかマギカも実質戦争モノだ。
 
たつき監督がジブリに通じる部分を感じたのはそういった部分だと思う。
りんたち姉妹は喧嘩もしないし、ワカバとは決して仲違いとか本気で殺そうとはしない(そこに説得力を見出しているのはすごい、ワカバを殺そうとしないのは物語上のある理由がある)
かなり理想的な関係や人物しか置いていない。
ある人によっては「そんな奴いるわけないじゃん」と思う、きっとガンダムエヴァが好きに違いない。
 
以上思考実験終わり。